「どうやって障害を受け入れましたか?」の問いに思うこと
義足になってから、何度もこの質問をされました。正直に言うと、私は「障害を受け入れる」ことはしていません。
私は同じ境遇の方やその家族に聞かれたとき、必ずこう伝えます。
「正直、いまだに受け入れていないんです」と。だって、私にとって足がない体は障害でしかないから。多くの人が使うであろう「受け入れる」という言葉が、私のとってはなんだか違う気がしていました。
最初の頃は「もう体が元通りになることはない」「受け入れなければいけない」と諦めのような感情で生きていました。けれど、時間をかけて気づいたのです。受け入れるのではなく、義足である経験を武器にする生き方があるのだと。
義足を受け入れられなかった私の日々
義足になったばかりの頃、私は何度も、何度も泣きました。仮義足の重たい足は、一歩進むことすらなかなかできず、階段を上ることさえ一苦労でした。
「前を向かなきゃ」「受け入れなきゃ」と自分に言い聞かせても、心は追いつかない。受け入れようとするほど、気持ちは重くなっていきました。
- 義足だから疲れる
- 義足だから自由に動けない
- 義足だから周りの目が気になる
- 義足だから好きなことができない
「全部義足になったこの体のせいだ!!」
そんな現実と葛藤する中で、「結婚や出産なんてもう無理だ」と思い込んでいました。私が受け入れられないこの体を、誰が受け入れてくれるんだろうと不安でいっぱいだったんです。
義足の私が結婚・出産で気づいたこと
ところが、人生は思いがけない方向へ進んでいきました。病気が発覚した時から付き合っていて、切断がわかった時に別れを考えた当時の彼が(今の夫)が私を受け入れてくれ、さらには夫の家族も温かく迎えてくれたのです。人生のどん底にいた私はその後結婚し、その2度の出産を経験したことで、考え方が大きく変わりました。
「義足だから幸せになれない」という思い込みが消え、家族と共に生きる喜びを知りました。たくさん悩ませた自分の母に、「私はこの人生をしっかり生きている」と伝えたいという気持ちも、より確かなものになっていきました。
私が7年前に初めて書いたブログのテーマは、「義足だけど毎日幸せ」というタイトルでした。
そのブログは、私が「自分と同じ立場の人の力になりたい」と前向きになったからこそ始めることができました。
障害があっても、母を安心させたかった
私が義足と本気で向き合うようになったのは、自分のためだけではありません。
一番は、母を安心させたかったからです。
義足になったとき、母はきっと人一倍心配していたと思います。
「この子はこれからどう生きていくのだろう」
「幸せになれるのだろうか」
母の目には、そんな不安がにじんでいました。
だからこそ私は、結婚し、子どもを産み、「義足になったけど、私は大丈夫だよ」と伝えたかったんです。
受け入れられない苦しさを抱えて泣いた日々もありましたが、そのたびに思い浮かぶのは母の顔でした。
母を安心させたい。だから人前では義足であることが悲しいとは伝えてきませんでした。
ただひたすらに明るく元気に、演じて生きてきました。
でも40歳を迎えると、その気持ちに限界がきていることに気づきました。このままではいけない。
その気持ちがあったからこそ、私は義足を受け入れるのではなく、この体も心も「私が私でよかった」と思える武器にできる何かを探し始めました。私だけが描ける人生を歩もうと決めました。
義足を強みに変えた自己表現と仕事
私は今も義足をあえて見せて生活してはいません。普段は普通に過ごしています。でも、義足は確実に私の一部であり、自己表現の手段になっています。あんなに隠して「普通」を演じようとしていた自分が嘘のように変わりました。
人の見た目をプロデュースするイメージコンサルタントを目指したのも、自分の思いを誰かの学びに変える講師業を始めたのも、「義足を持つ自分だからこそ伝えられることがある」と思ったからです。世の中にコンサルタントや講師はたくさんいます。
でも、義足の私だからこそ語れる視点や言葉がある。それは、障害のある人にも、そうでない人にも響いていくのだと気づきました。
実際に講演の場では、「不幸のどん底にいる女性の励みになるのではないか」「講演内容に魅了された」と言われたことがあります。義足であることが、私にしかできない表現の形になっていたのです。
「武器にする」と決めた瞬間
私は受け入れることはできない。けれど、義足を武器にすると決めました。
- 自分の人生を堂々と歩く覚悟
- 義足があっても幸せに生きる証明
- 母や自分自身に「大丈夫」と示すこと
この決意が、私の人生の軸になりました。義足は不便さを抱えているけれど、同時に人生を前に進める力を与えてくれたのです。
受け入れらないことに悩む人へ
障害や病気、環境の変化など、人生には自分の力ではどうにもならない出来事が起こります。
例えば、突然の病気で今までの生活が一変したり、家族の事情でキャリアを諦めざるを得なかったり、事故で体に大きな変化を抱えることになったり。
でも無理に受け入れる必要なんてありません。
受け入れられないなら、そのままの気持ちで前に進む方法を見つければいいんです。ただ、気持ちに負けて後ろを向くことだけはしてはいけません。
私は義足を利用する、武器にすると決めることで、自分の人生を堂々と歩めるようになりました。
最後に
母に伝えたかった「私はもう大丈夫」という言葉は、今は自分自身にも響いています。義足は受け入れなくてもいい。でも、自分の生き方に変えることはできる。
これからも私は、義足を武器にして、自己表現の手段として活かし、自分にしか作れない人生を歩んでいきます。
もしも今、何か受け入れられない壁に当たっていると感じるなら、その気持ちを整理してみてください。
弱みや悲しみだけじゃなくて、強みや優しさに変えることができるかもしれません。


コメント
コメント一覧 (2件)
初めてコメントします。
よろしくお願いします。
中学3年生の時に事故で右足の膝上から切断しました。今は高校1年で学校に通っています。
足を失ってからの期間も短いため、まだ上手く受け止められていません。学校で体育に参加できないこと、制服はスカートではなくズボンを選んだこと、歩き方が不自然なことなどです。
同じ時期に入院していた仲間は膝から下の切断でした。退院後、久しぶりにお会いしたら、歩き方がとても自然で全く義足には見えませんでした。元々は膝下切断だったので、私も膝が残っていたら、あんなに綺麗に歩けたのかと悲しくなりました…
暗いことばかり書いてしまいましたが、義足は一つの武器と思えるよう頑張ってみたいと思います。
ヒロコさま
はじめまして。勇気を出してコメントしてくださって、ありがとうございます。
中学3年生という多感な時期に事故を経験されて、今も高校生活の中でたくさんの葛藤を抱えながら過ごしていらっしゃるのですね。
体育に参加できないこと、制服の選択、歩き方のこと…。
どれも「気にしなくていい」なんて簡単に言えることではなくて、心が揺れるのはとても自然なことだと思います。
同じ時期に入院されていた方と比べて、悲しくなってしまったお気持ちも、とても正直で大切な感情だと感じました。膝があるのとないのでは機能の違いは出てきてしまいますらですが、このまま比べることを続けると、自分の心が本当につらくなります。
義足の見え方や歩き方にも本当に個人差があります。他の人がよく見える気持ち、私だけどうして?という気持ち。本当によくわかります。
でも、ヒロコさんが私の記事を読んで「義足は一つの武器だと思えるよう頑張ってみたい」と思ったこと、本当にすのいです。
今はまだ受け止めきれなくても大丈夫です。
時間をかけながら、少しずつ「自分の足」「自分の人生」として向き合っていければ、それで十分だと思います。私は本当にゆっくり、ゆっくりでした。
私のブログがヒロコさんにとって「ひとりじゃない」と感じられる場所になれたら嬉しいです。
また、いつでも気持ちを吐き出しに来てくださいね。