義足になって気づいた「羨ましい」と思う感情の正体

義足になって気づいた「羨ましい」と思う感情の正体

誰かの成功や幸せを見て「いいな」「羨ましい」と思うのは、誰にでもある自然な感情です。
でも、もしその「羨ましい」という感情がいつの間にか消えてしまったら?

私自身、病気と義足を経験した時、その感情が静かに遠ざかっていく恐怖を味わいました。
それは、ただの羨望の気持ち以上に、自分の心の状態が悪化していくことがわかりました。

今回は、私の体験を通して「羨ましい」という感情の正体と、そこから見えてきた日常の尊さについてお伝えします。

目次

羨ましいと思う気持ちが消えていく恐怖

昔の私は、友達の成功や誰かの幸せを見て「いいな、羨ましいな」と思う感情がちゃんとありました。多分誰もが一度は感じたことのある感情です。

憧れのような目標のようなものです。ベクトルが変わると妬みにもなる感情ではありますが、「良いな」と思う感情はとても尊いものであることを知っています。


なぜなら、羨ましいと感じるのは「自分もそこに行けるはずだ」「それができるはずだ」という自信の表れだから。
目標や夢をまだ諦めていない証拠でもあると私は思うからです。

しかし、私が病気と手術を経て義足になった日から、その感情は静かに消えていきました。
心のどこかで「もうあの場所には行けない」「私にはできない」と思ってしまったからです。

失った足がもう戻ってこないことを知った私は、人を羨むことすらできなくなっていきました。すべてがどうでもよくなっていました。見た目のことも、やりたいことも。

義足になるまでの壮絶な日々

私が義足をつけることになったのは、骨肉腫という骨のがんを患い、右足を切断する手術を受けたから。
それは突然の出来事で、準備も心構えもありませんでした。

手術後の生活は想像以上に過酷でした。
いつも履いていたミニスカートを履くことは、もうできない。

体の一部を失って生きるくらいなら、余命も何年あるのかわからない人生なら、もう終わりにしたいと本気で思っていました。

抗がん剤治療により、ただ吐き続ける日々。抜け続ける髪の毛。生きることが苦しいだけで、外の世界を見ることすらできなくなりました。

体重は10キロ以上落ち、肋が透けて見えるほどやせ細りました。

術後に味わった惨めさと孤独

義足がまだ作られていない時期、病室にポータブルトイレが置かれました。


カーテン一枚で仕切られた空間で用を足し、足音を立てて歩く看護師さんや笑い声の聞こえる病棟の中で、私は小さく縮こまっていました。


「なんで私だけ…こんな場所にいるんだろう」


その惨めさと孤独感は、今も胸の奥に残っています。ポータブルトイレで用を足した時に見える、抗がん剤の副作用で真っ赤に染まった尿の色を今も忘れることはできません。

さらに抗がん剤治療で白血球の数が減少してしまうため、感染しやすくなります。無菌状態で誰かに会う時はビニール越し。一人、永遠に取り残されたような気がしていました。

羨ましいってなんだろう

退院して、仮の義足ができた頃。

20歳で結婚した友達の結婚式に招かれた日、車椅子に乗り、抗がん剤治療で抜けた髪を隠すためにカツラをかぶってチャペルでの式にだけ出席しました。


もちろん友達の幸せは嬉しいし、笑顔を作ってはいたけれど、鏡に映った自分の姿は以前の私とはまるで別人。義足を隠すためのスカートとブーツを履いていました。


周囲は華やかに着飾り、未来を祝福する場で、私はどこか遠くを見ていたような気がします。

当時付き合っていた彼が付き添ってくれましたが、こんなボロボロな私に結婚する未来なんて想像もつきませんでした。

羨む気持ちを失って見えた「当たり前」の価値

羨むことができない日々は、自分が世界から少し切り離されたような感覚になりました。

でも同時に、「普通に歩ける」「好きな服を選べる」「自分の足でトイレに行ける」ことの価値を強く意識するようになりました。


失って初めて気づく日常の尊さ。
それは、以前の私には見えていなかった景色でした。

羨ましさが戻ってきたとき

リハビリを重ね、少しずつ外に出られるようになると、街を歩く人々の服や、旅行を楽しむ友人のSNS投稿を見て「いいな」と思う感情が戻ってきました。
羨ましさは、挑戦する心の証。


「私もあそこに行きたい」「やってみたい」という気持ちが、また胸の奥で息をし始めたのです。

同じ境遇の人へ伝えたいこと

もし今、病気やケガ、障害によって人生が止まってしまったように感じているあなたがいたら、知っていてほしいことがあります。
羨ましさが消えても、それは終わりではありません。

惨めでも、生きていれば自分らしく生きる方法が見つかります。


感情が動かない時期は、体も心もエネルギーを溜めている時間。その静かな時間は、決して無駄ではありません。

「当たり前の生活」が宝物だと知っているあなたは、すでに特別な強さを持っています。
私はその強さを少しずつ使いながら、前を見て生きています。


そして、また「羨ましい」と思える日が必ず来ます。チャレンジしてみようという気持ちが湧く時はきます。
その日を信じて、一歩ずつ進んでほしい。

そして、健康な体で毎日を過ごせているあなたへ

当たり前のように動く体も、普通にできることも、実はとても尊い奇跡です。
だからこそ、その当たり前を軽んじたり、自分や他人の「羨ましい」感情を簡単に否定したりしないでほしい。

「良いな」と思える感情は決して悪いものではありません。

もし今、誰かの幸せや成功を見て「羨ましい」と感じたら、その気持ちを大切にしてください。
それはあなたの中にある「もっと良くなりたい」「挑戦したい」という心の声かもしれません。

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