義足ママと娘が出会うまで ─ 右足と引き換えに、生きることを選んだ私 ─
私は右足が義足の障害者です。
そして、14歳の娘と3歳の息子を持つ母親です。病気になって足を失い、そして娘との出会いから大きく動いた私の人生を文章化しようとこのブログを始めました。
私の経験が誰かの気持ちを動かせますように。私の思いを読みにきてくれてありがとうございます。
私が障害者になった日
私は、20歳で右足のひざ下を切断しました。
骨肉腫という骨のがんが原因でした。最初は「残せるかもしれない」と言われていたけれど、抗がん剤の効果が思った以上に出ず、命を守るために切断手術を選ばなければなりませんでした。
「足を失うくらいなら死にたい」と、何度も叫ぶように泣きました。切断を医師に告げられた日のことは記憶が曖昧ですが、お気に入りのデニムミニスカートを履いていました。
泣き続ける私に、母はどれほど困り果てたことでしょう。
私に生き延びてほしいと願いながらも、本人が望んでいない現実にどれほど苦しんだか…母となった今の私には、その気持ちが痛いほどわかります。
母は、私より1ヶ月も早く「切断せざるを得ない」ことを知らされていました。
私に悟られないように過ごしたあの日々の心を思うと、どんな状態だったのか。想像するだけで私は胸が苦しくなります。
今、娘がそうなったとしたら、私は平常心を保つ自信がありません。
切断手術の決断
あんなに「嫌だ、切りたくない」とわがままを言っていた私が、切断を決めたきっかけは、当時の彼からのたった一言でした。
足を失ってまで何のために生きなきゃいけないの?その問いに対して彼が言いました。
「じゃあ俺のために生きて」
実質プロポーズのようなその言葉。私は別れるしかないと考えていたので、衝撃でした。
そしてその彼が、今の夫です。
彼の一言から4年後の24歳で結婚し、2年後に女の子を授かりました。
その娘は現在14歳の中学生。そして年の離れた3歳の息子もいる、2児の義足ママが私です。
娘の出産は、私がもう一度生まれた日
手術から6年後、私は娘を出産しました。
人生で初めて「生きていてよかった」と心から思えた瞬間。
それまでは前を向くことも、挑戦することもできませんでした。ただこの体で生きていた、という日々。
でも娘が生まれたことで、私は命より大切な守るべき存在に出会いました。
その瞬間から、私だけの人生ではない物語が始まりました。
不完全な体でも、生きていい
障害を持つ母として、私はずっと葛藤してきました。不完全というと、障害のある方に対して失礼なのかもしれないですが、自分の中では足を失った瞬間から、5体満足ではなくなったというショックが大きかったんです。
完全じゃない体。大きく心についた傷。
でも、20年この体で生きていて、今は思います。
- 「不完全」でも、生きていい。
- 「弱さ」は、誰かを理解する力になる。
- 「普通」じゃない人生も、ちゃんと幸せになれる。
義足になった私と娘は、たくさん歩いて、たくさん泣いて、たくさん笑ってきました。
どんな道を歩いても、どれだけ迷っても、
私は、家族のそばにいる。
この命に代えても守ると決めた、私の大切な存在。
母として、義足で生きるこの身体で、我が子に言葉を残します。
「あなた達は、世界一尊い存在であること」
「私が生き抜いた大きな意味を持っていること」
私のところへ来てくれてありがとう。
義足ママが見た、子育ての現実
娘が生まれてから、私は「娘に“母の障害”で不都合が起きないように」と願いながら生きてきました。
けれどそれは、思っていた以上に難しく、苦しいものでした。
お風呂に一人で入れることが怖くて、夫とともに実家へ戻り、支えてもらいながら子育てをしました。
あのとき両足があったら、私はもっと“母親らしく”できたんじゃないかと、悔しさが込み上げた日もあります。
今でも忘れられないのは、保育園の運動会での親子ダンス。
跳ねて踊るのが難しい私の代わりに、母(娘のおばあちゃん)が踊ってくれました。
娘と一緒に踊る他のお母さんたちを見て、胸がギュッと締めつけられました。
不恰好でもいいから、あのとき一緒に踊ればよかった。
今でも悔しさと後悔が残っています。
娘がくれた「義足は悪くない」の言葉
そんな私に、救いのような出来事がありました。
ある日、13歳になった娘に
「義足のこと、どう思う?もっと発信していこうか悩んでる」と伝えると、
娘はこう言いました。
「義足であることは、何も悪くないでしょ?」
私は衝撃を受けました。
私が長年「隠したい」「恥ずかしい」「悪いこと」と思ってきた障害を、娘はそうは見ていなかったのです。
母が義足であることが“当たり前”の娘。
私の人生を根底から変えた瞬間でした。
そのとき私は決めました。もっと自分を発信しよう。
誰かに届く「ことば」を残そうと。
このブログを届けたい理由
私たち親子は、少し特殊で、「少数派」の親子かもしれません。
でも、だからこそ伝えられることがあります。
- 思春期の娘に悩むお母さんへ
- 自分の見た目や友達関係に悩む10代の女の子へ
不完全だからこそ、必死に生きてきた私の思いを聞いてほしい。
だって、あなたには大好きな我が子を抱きしめる腕も、走って駆け寄る足も、愛しい顔を見つめることも話を聞くこともできる。
それが簡単にできない母親がいることを知ってほしいから発信します。
自分の命が当たり前に続くと思っているかもしれないけど、突然病気や事故はやってくる。その恐怖を知っているから私は1日も後悔しないように生きています。
私の体験から綴る言葉が、あなたを救う「ことば」になりますように。


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